あなたの笑顔をおいかけて

どこまでも高く、輝ける夢へ

29歳の中間担の私から、30歳の中間淳太くんへ

10月12日。19時。私はこの人を好きでよかった。と心から思った。

もう何ヶ月も見ていなかった久しぶりのなにわぶ誌は、私が好きになったその人のすべてだった。
本当はこのまま記録に残すことなくそっと離れるつもりでいた。彼に対して、「降りる」という言葉を使いたくなかったし、言ったらすべて終わってしまいそうな気がしたから。
でもなにわぶ誌を読んで、気づいたらこの記事を書いている。

 

10月21日。今日をもって、私は中間淳太くんの担当をやめます。


2年前、大阪マラソンをきっかけに淳太くんを自担にするときめた。頭がよくてしっかりしていて、でも時に抜けてて、そしてアイドルであることを諦めない。どんな時もまっすぐでブレない淳太くんに強烈に惹かれたのを覚えている。あと顔がいい。
担当になるまでの経緯は過去に書いてるので、詳しくはこちらに。

yusz3.hateblo.jp

淳太くんの担当になってから毎日めちゃくちゃ楽しくて。淳太くんって特にアイドルである自分に誇りを持っている(と私は思っている)から、迷わず応援できた。あの当時はソロの仕事がほぼなかったのもあって、アイドルとして売れてほしいと強く切に思っていた。ヒルナンデスとレコメン決まったときは嬉しくて泣いたなあ。
その間にいろんなグループに手を出したりハマったり担当増やしたりもしたけど(私は担当は1人制ではありません)、淳太くんとジャニーズWESTに思う「売れてほしい」という気持ちは変わらなかった。

 

でも今年の5月、私はジャニーズWESTと淳太くんの担当をそっと休むことにした。

きっかけは、新曲のコンセプトにおける公式との考えの違い。(これについての記事も書いてますがほぼ愚痴なのでリンクは貼りません。興味のある方は過去記事からどうぞ。)

7人が悪いわけじゃない。分かっていても納得のいかない作品を売り出されることが私には辛かったし耐えることができなかった。*1だから一度距離を置くと決めた。そして、そのときにひとつ考えていたことがある。

 

淳太くんの30歳の誕生日までに、またあの頃みたいに熱が戻らなかったら、淳太くんの担当をやめよう、と。

 

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私は今まで、通ってきたグループが私にとってどんな存在だったか、ずっと一言で例えてきている。

嵐は私の「神様」だった。
A.B.C-Zは私の「青春」だった。

じゃあ淳太くんは、ジャニーズWESTは例えるならなんだろうか。と、離れて少しした頃から考えていた。そして、なにわぶ誌を読んで、ひとつのワードが浮かんできた。

 

ジャニーズWESTは私の「夢」だった。

 

がむしゃらで、売れることに貪欲で、夢を語ることを恐れない。そんな7人が私にはキラキラ輝いてみえて、7人が夢を叶える瞬間に立ち会いたいと心の底から思うようになった。2016年クリスマスの初ドームはめちゃくちゃ笑ったしめちゃくちゃ泣いた。一般人に引かれるレベルの数現場には出向いてる自信はあるけど、あの2日間の幸せはこの先一生経験できないだろうし、忘れられない現場のひとつになると思う。

でも、「夢」はいつか覚めるときがくる。

あくまでもあのことはきっかけにすぎないと思ってるし、夢から覚めても7人に会いに行く方法もあったと思う。だけど、あえてそれを選ぶことはなかった。

 

私は、ここから先は違う道を歩いていく。

 

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30歳の中間淳太くんへ。

私が淳太くんを好きになったのは、デビューしてからの短い間だけど、20代の淳太くんに出会えたこと、30歳になる淳太くんに立ち会えて本当に本当に嬉しいです。

素直すぎてときに誰かを傷つけてしまうことも、嘘がつけなくてこの仕事をするのに悩んでしまうことも、ぜんぶぜんぶ淳太くんが淳太くんでいるからこそだと思っています。私はそれに何度も救われました。

どうか、そのままでいてください。この先辛いことも、仕事で対立したりうまくいかないこともあるかもしれない。でも、自分の意見を押し殺す淳太くんも、嘘がつける淳太くんも、それは淳太くんじゃないと思うから。

今私が立っているのはあなたのいる世界ではないけど、30代の淳太くんにたくさんの幸せがありますように、心から願っています。

30歳のお誕生日、おめでとうございます!ずっとずっと大好きで、たくさんたくさん大好きでした!!!

 

*1:しかも実際売れたしね…………